佐々部清監督
先日、突然過ぎる訃報が飛び込んできた。
佐々部清監督の、逝去。
次の作品への意欲的に励まれていた佐々部監督。
2日前まで、普通にTwitterで呟いていたのに。
佐々部清監督とは、ほんの少しだけ、関わりがありました。
出演等ではなく、原宿のBARにて。
当時ニコ生を使って毎週金曜日に、【theaterBAR PADDOCK】のカウンターの一席を使わせて頂き、放送をさせて頂いてた頃。
パドックのオーナーは映画が
好きで、たくさんのフィルムが壁一面にあった。
そこに、オーナーが関わった作品たちの台本もぶら下がっていた。
今思えばスゲーお宝だらけやんね。。
まだ若くて、お店を「いいよいいよ」と言って頂けるがままに使わせてもらい、放送のお客さんも来てくれたりして。
ちょっとしたオフ会のような集いが毎週の楽しみでした。
でも集まった私たちはやっぱりまだ若く。若すぎて。
BARに、お金を落とすことに欠けていた。
当時学生さんもいたしネ。
パドックの常連さんであった佐々部監督と2人でお話しした機会もあり、後にメッセージのやり取りができてから、ひとくぎ、刺されたのを覚えています。
今読み返したら、監督にとってとても大事なお店だからという愛情あっての注意、というより、お願い、だった。
もの凄く恥ずかしかった。
また恥ずかしくなった。
BARでお酒を飲むには、ちゃんとお金がないと本来は出来ないのだ。
その先に、愉しみがあるのだと。
優しい方でした。
『ツレがうつになりまして。』で存じ上げていたものの、これまたすっとぼけな私は「すごい監督さんなんだ〜」といた鈍感者。反省)
だから色んな色目抜きでお話し出来たんでしょうけど。。
めでたい性格め。
そこから佐々部清監督作品を観て、
『六月橙の三姉妹』にとても惹かれた。
今でも好きな映画ベスト10を挙げろと言われれば必ず入る作品。
「吉田羊が売れる前に使ってたんだぞ〜」的な言葉を聞いたような。
観た時は既にブレイクした女優さんになられてたので「さすが、色んな作品に出てるんだな〜」と売れっぷりに惚れ惚れしてましたが。笑)
”かるきゃん“は今でも憧れの映画食だし。
“んにゃんにゃんにゃんにゃ”の方言は今でもお気に入りだし。
純粋に、胸に残る作品だった。
『ゾウを撫でる』が渋谷のシネクイントで上映された時は観に行き、確かトークショーも聞けた。
佐々部監督に直接お話ししたかったけど、そんなタイミングもなくて…。
ポスター前で自撮りをして、SNSにアップしたんだ。
『八重子のハミング』PR活動中は、直々にメッセージを頂き、こんな監督も自ら宣伝し、足を運び回るのかと、映画への誠実さに驚いた。
またその前には、これまたずーずーしい私は『恋とさよならとハワイ』の公開のお知らせを送っていた。
それにも、ちゃんと返信を頂いてて…。
「“自主的映画”、わかりますよ。」
なんて。
いつも、どこまでも、初心と謙虚を忘れない方。
また飲もうね!
ってあったメッセージ。
しばらく連絡は直接取っていなかったものの、ツイートを追ったり、監督の存在は感じていた。
のに。
監督自らが足を運ぶPRのトークも、
これからの新作も、
お話しすることも、
もう、叶わなくなってしまった。
哀しくて驚きが隠せなくて動揺して。
思わず、当時BARでお世話になっていた方へ、連絡を突発的に送っていた。
その方自身と久々にやり取りをして、泣いてたのが最後には笑ってた。
すぐに会える状態ではないけれど、色々、全部落ち着いたら会いに行く、と決まった。
佐々部監督、こんなこと思うのは失礼なのかもしれませんが、お陰様で、再び会いたかった人を思い出し、会う気力と明るい気持ちに繋がりました。
思い出すと寂しくて哀しくなってしまいますが。
朗らかな佐々部清監督作品が、大好きなんです。
気持ちが沈んだ時こそ、また映画を観て思い出します。
どうぞ、あちらでもお元気で。
またお会いしたかったです。
ご冥福を心から御祈り致します。
かるきゃん、についてはこちらからどうぞ。
あー食べたーいっ。
1コメント
2020.04.14 20:51