映画『暁に祈れ』 #eigamote
映画『暁に祈れ』(原題 A Prayer Before Dawn)(2018)
監督:ジャン=ステファーヌ・ソベール
出演:ジョー・コール/
ポンチャノック・マブラン/ビタヤ・パンスリンガム/
ソムラック・カムシン/パンヤ・イムアンパイ
イギリスのボクサーの実話。
上を目指し試合のためにタイへ飛んだビリー・ムーア。
しかし薬漬けの彼は現地で捕まり、地獄の刑務所へ送られる。
”バンコク・ヒルトン”とはここの事。
実際の刑務所、
本物の元囚人、
本当の話。
もはや映画じゃないじゃん!
と笑っていたのも観る前まで。
そのおぞましさに恐ろしさに、そして見事なカットで紡がれた映像は
映画でした。
撮影された刑務所は閉鎖された場所ではあるが、
バンコクで最古の刑務所だったらしい。
この国では博打が当たり前。
というか、博打好きな国民性があるみたい。
主軸ともなるボクシングならむ、ムエタイ。
闘う前には、感謝の意を込めての舞いがある。
ムエタイ博打もあるほどで、国技にもならず、有名な競技ではあるが
悪人の遊び、とも言われているんだとか。
しかしこのムエタイを、厚生手段として奨励しているのも事実らしく。
映画の中にもそれは描かれる。
そして、貧困の救済、とも使われていると。
そう思うと、この競技の重さや意味は、なんて深いことか。
言葉では多く語らず。
タイ語もほとんど翻訳されず、外国に監獄されたビリーと似た感覚も感じられたり。
画の飛ばし方は、映画ならではの手法であり、楽しませ方。
もう、ほんと、
タトゥーが…!!!笑)
ほぼ服も着ていない囚人たち。
でもその身体には、顔面から身体まで覆いつくす
おびただしいタトゥー。
こわいこわいこわすぎる。
そのタトゥーは収監者たちの、自己顕示なのだとか。
真っ白な身体の外国人であるビリーと収監者たち。
その大きな違いが人種差別にあたるほど、
映画の中ではいたぶられ見下される。
だが、ムエタイチームに入り、試合をするにのに、
仲間としても身体を埋めなければならない。
最初は心が回復してゆくと同時に、
体を売ったのかと、思ったけど。
身体に彼らと同じタトゥーを入れることによって
仲間入りとも示される。
自分が、ビリーが刑務所でムエタイをするには
あまりにも意味が込められたものなのか、と。
目の前に普通に転がる死体、
汚職、レイプ、自殺。
全部が通常。
その画の強さたるや。
主演のジョー・コールの目の力も凄くて。
確かに目を切り取る画が多かった。
だって、薬やる前、吸った後のイってしまった目、
脱力した目、絶望の目、女を見つめる目、
ボクサーの目。。
なんて変わるがわるに変化するのだろう。
人間の目って、こんなにも心情を語れるものなの。
ボクサーの身体にその目、惹かれっぱなしだった。
見事に仕上がった身体は、主に後ろ向き。
監督は背中フェチなのか。(違
よく分からん筋肉まで背中に見えるほど。
その身体が、ボクサーとして戦う時に汗で滲んで
うっすら光ると、なんとも色っぽくてかっこいい。
背中を追い続けたのには、何か理由がありそう。
その背中でさえ、その時のビリーが語られるほど
むき出しだったからだろうか。
あとに、背中にタトゥーが入れられるのも、
場所的には凄く納得。
ビリーの心と身体が変わるにつれて、
その色気も増していった気がする。
男の恐怖を超えて、狂気、闘争心が
そう見せたのかもなぁ、なんて。
レディー・ボーイと言われる、
刑務所内での物の販売や慰安を担い、
ビリーとも身体の関係を持つ女がいたけど。
あれ、
実は性転換した男だったんだとか。爆)
だから”レディー・ボーイ”。
あの地獄に、女はいなかったみたい。
1人のボクサーの地獄体験、
人生の一辺、
と共に、バンコクのお国事情も実は存分に含んだ映画。
それぞれに意味があることは、なんでこんなにも興味深いんだろ。
意味を知ることで更にその現状や現場がよく見えてくる。
今回タトゥーのことが気になり過ぎてパンフレットを買ったけど
これは購入して良かったな。
こんな地獄が描ける国だとは思わなかった、
微笑みの国、タイ。
っぁーーーー
やっぱりこれメルマガでも書けば良かった!!←
1コメント
2018.12.18 20:50