映画『イメージの本』
映画『イメージの本』
監督:ジャン・リュック=ゴダール
ヌーベルバーグの巨匠、ゴダール監督作品。
ただの映画が好き〜で生きてきた私には、深いところに足を突っ込む。
難しいだ眠くなるだの意見がたた見られる感想たち。
ビビりながらも、長編デビュー作『勝手にしやがれ』を観てから、いざ映画館へ。
俳優という俳優はいない。
物語という物語はない。
が、確実に中盤までは、かなり興奮状態になってた自分に気づいて。
後半は興奮しすぎたのか若干疲れたけど。
私、なんやかやで楽しかったらしい。
なんでか。
いつも“映画を語らなければならない“時に、もぞもぞしてた。
「あの時の、この人が言うこの言葉やセリフが、こう、〇〇だったから、××だった」
と、人に伝えるにはある種の論理立てが必要で。
思い返せば私は、その時その瞬間を楽しみながら映画を体験してたのだと、メルマガでたくさん映画館に定期的に通って気づいてね。
俳優の演技はまだしも、
映画として、
演出、構成、脚本、音に光…
専門的な説明は、まだまだ伝え方として得ていなくって。
最後はやっぱり好みが左右して語る。
でも今作は。
もしかして、、とうっすら希望の”そんな気がする“を抱えて観てみた。
話の筋も物語としての構成も、特段ない。笑)
おじいちゃんであるゴダールの、脳内コラージュがパンパンパンパン繋がって流れて行く。
音は切れるわ映像が急に変わるわで、たぶん、一生懸命理解しようと観ると途端に眠くなる気がする。笑)
わかりやすい流れが来た時に気づくこともある
ゴダールの思い描く流れに合う映像を、切って繋ぎ合わせて創ってゆく、ということ。
頭の中の流れが先だったのか、手元にある映像が先で、繋いで遊んだのか。
こういう画があるなら、次はこれで、という。
なんとも想像力に長ける楽しいお遊びな感じ。
小学校や中学での美術の授業とかでやるのもありそうな。
そこに気づくと、まるで映像の中に出てくる人物たち(多分別映画の一部分)の言葉が全然違うことを喋ってたり、前後は創作で、ココぞという瞬間のセリフは元のまま活かしたり。
バツバツ切って繋ぐのは、ゴダールの好みな気がする。
『勝手にしやがれ』でも流れがなんだ、って感じでバツバツ切って繋いでたし。笑)
“このセリフの時は、この画がいいから”
そんなイメージがあった上で、切ってカットがあったから。
1枚1枚の絵画を描くように。
今、生きる人間を構成してるものは、この5本の指のような事柄だべ。
そんな柱を持って、いくつもの展開が繰り広げられていたように思う。
「映画のように語るのだ」
みたいな言葉とは、正反対の皮肉にも感じてニマニマしたり。
六本木ヒルズで開催される近代美術の展示みたいだな、と思いながら。
先日行った『クロッシング展』を思い出す。
芸術家が構想したことや想いを具現化した時、視覚で捉えると「何がどういう意味??とぐるぐる必死に悩む人もいる。
母に至ってはワケ分からん者には
「だから何?笑」と華麗にかわす。笑)
でも創作者にはちゃんと、脳内に浮かんだ理由やイメージがあって。
あるからこそ、創作物が出来あがる。
想像と創造が合致してる時は楽しかったけど、現実の構想を創造し始めた時にはちょっと一息ついてしまったけど。
何をどう理解する、という観方も楽しいと思う。
けど、今回に関しては、そのままを受けてゴダールの脳内を“浴びる”感覚。
もともと芸術作品の受け取りなんてその人の自由なもんだけど、今回は個人的にね、特にそうだった気がして。
だから、感覚で、
ジェットコースターを乗るのと似たように映画を楽しむ私には、嫌いじゃなかったのかもしれないな、なんて。
ジェットコースター乗ってる時に
「この角度がこうでこのスピードはあぁいう流れという計算のもとで景色がそうみえて最高」なんて考えないもの。私。
いや、ジェットコースターに例えるとみんな同じか。笑)
映画界の巨匠にはこんな人がいる
そこに興味がある人は、浴びに行くことをオススメ出来るかな。と。
創造と想像を88歳にしても辞めることなく生み出すゴダール。
若いぜ。性欲が強そうだぜ。笑)
コントラスト強くなりがち。
そりゃ観ちゃったらね。
今度からメルマガ限定で写メも付けるよ!
ひゅー!
2コメント
2019.04.29 13:55
2019.04.28 22:04