風琴工房最終公演『ちゅらと修羅』
風琴工房としての、最後の公演
『ちゅらと修羅』
@ザ・スズナリ
スズナリは来るたびに、あまりに違う空間に変わるなぁと。
好きだなぁこの劇場。。
草木と、まるで真逆のTV画面に覆われた今回にもすぐ胸掴まれたり。
私達が知らない沖縄のこと。
あまりにも分厚い時間を構築していて。
同じくタイムスリップしたり目の当たりにしたり。
こんなにも、どこからでも切り口があって
どこを切っても溢れてくる事実や歴史、現状を抱えている
国なんだなと。
演劇だし、ここは沖縄ではないし下北沢だし。
”フィクションであるけど、相当部分、分量が事実で創られた”
と言われて改めてハッとした。
途中のベトナム村の辺りから、受ける言葉があまりにも
圧があり思いが重く、涙が溢れてきた。
でも目の前の人物たちが およよとなっているシーンでは決してなく。
むしろ力強さの血気があるのに、止まらなかった。
説明というか、質疑や説明の言葉が多く、
しばらく「この登場人物の性格とは、、?」と
思っていたキタヤマさん。
ベトナム村のあとの、自分は言葉を諦めたという会話。
そしてその代わりに、貢献できるためにだけ言葉を使うんだと言ってた。(私の記憶があまり正しくないと思いますが。。)
ここに、彼の今までの役割が詰まっていて、ちゃんと描かれていて。
もう脱帽。
更にはこの辺りで、福島のことが過った。
福島の親戚がいるけれど、私は何も知らないし。
恥ずかしながら、結果的に行動も起こしてはいない。
けど、やっぱりこうやって思い起こしてしまうし
興味が根付いてるんだと知る。
福島の従兄弟は私に語ろうともしない、けど、
「直接じゃなくても、見る・聴く・知る、覚えててくれるだけでいいんだー」
って言ってくれてて。
きっと今作も観たことも、そう言った意味はとても強いのかも、
なんて。
舞台すぐ横で鳴らされる独特の音楽。
毎回違うらしくて。
それは、同じ場にいて、見て聴くからこその音楽だから
芝居と同じ、今しか奏でられないものかと思ったら鳥肌立った。
生演奏だからこそ。
常に音が流れているのも、きっと自然の中にいたら色んな音が聞こえる。
そんな当たり前の環境さえも感じられたり。
膨大な情報、言葉、音と光の洪水に呑まれそうでした。
それを、演劇だから出来る手腕で次々に魅せる演出の力にも圧倒。
俳優陣への信頼も、もの凄く伝わってくる。
だからこんなにも分厚いんですね。
凄い2時間10分でした。
風琴工房を観たあとは、必ず何かを考えさせられて、何かを持ち帰る自分がいる。
それほど、毎回刺さって抜けない強いものがあるんです、ね。
来年からのserial numberも、どういう作品達になるのか
楽しみすぎます。
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2017.12.13 20:36